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zoom RSS 『鉄砲はわらう 弥八の捕物帳』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/08/21 23:54   >>

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紀伊國屋のネット書店には、キーワードや著者名を登録しておくと、それに該当する新刊本をメールで知らせてくれるサービスがあります。

キーワードは5つまで設定できるので、私の場合は「殺人」「事件」「密室」「探偵」「推理」にしています(w)。本のタイトルか、出版社による内容情報(あらすじとか、サブタイトルなど)のどこかに、これらのキーワードが含まれていれば、自動的に網に引っかかってくれるわけです。これでミステリ関係の新刊なら、ほぼ100%ヒットします。

まあ、「事件」なんて言葉は、犯罪とは無関係な本でも使いますから、このシステムはミステリ以外の出版物も、いろいろと拾い上げてしまいます。が、それより問題なのは、「どこでも全く話題になったことがない、見たことも聞いたこともない著者による、謎のミステリ本」が、ときどき引っかかることです。そしてこの数年来、そういうケースが少しずつ増えています。

その正体はというと……自費出版本。「本にする原稿はありませんか」とか「あなたの原稿を本にします」という、あれです。最近では、「希望商法」や「コンテスト商法」などと呼ばれる、詐欺まがいの手法が問題視されていることは、ご存じの通り。そしてこの分野にも、勘違いした著者による作品が溢れているわけです。

非難の対象として、名指しされること多いのが新風舎という出版社で、ネット上でもよく話題にのぼっています。同社がいつから自費出版本を手がけるようになったのかは知りませんが、私がこの会社の名前を初めて目にしたのはずいぶん前のこと。そして、買った私が「やられた……」と、思わずつぶやいてしまったのも。忘れもしません、城戸志人という著者の『密室事件2002』という本でした。

この本には、「出尽くされたといわれる密室トリックに敢えて挑戦した本格推理小説」とのコピーが付いていました。「おいおい、そりゃ“出尽くされた”じゃなくて“出尽くした”だろう」と、心の中でツッコミを入れながらも、密室ものなら相当なバカミスでも受け入れてしまう私は、「騙されたと思って読んでみるか」と注文し、そして見事に騙されたのでした。『密室事件2002』は中編規模の薄っぺらい本なのですが、内容は小説の体をなしていないほど酷いもので、読むにはかなりの忍耐力が必要です。1050円もしたのに。

こうして新風舎の名前は、私の記憶の中に「あの『密室事件2002』を出したクソ出版社である」とインプットされたのでした。それからは、変な自費出版本に引っかかることはほとんどなくなりましたが、それと反比例するように、新風舎の知名度は上がっていきました。「自費出版って、儲かるんだなあ……出版社が」と実感されるほどの成長ぶり。だって、『密室事件2002』は内容だけでなく、装丁や製本もそれはそれは貧弱で、カネが掛かってないことはミエミエでしたから。営業活動だって、おそらく出版物のデータベースに載せただけでしょう。

最近では有名作家の旧作を出したりもしているようで、新風舎の本を店頭で目にする機会は増えています。そんな中、何の気なしに手に取ってしまったのが、飯島一次という著者の『鉄砲はわらう 弥八の捕物帳』。あの『密室事件2002』とは違ってデザインもちゃんとしており、コシマキには「作家・野崎六助氏絶賛!」とか「第27回新風舎出版賞特別賞受賞作」などとありました。

それより目を引かれたのがメインのコピーで、「ええい面倒だ、手前で推理しておくんな!!」。下のほうには「真相を暴けるのは、探偵ではなくあなた自身だ。常識破りの《裏》ミステリ!」なんて書いてあります。なんのこっちゃと、ページをめくってみると、第一話はどうやら人間消失ものらしい。そんなに変な文章でもなかったので、「ええい、また騙されたと思って読んでみるか」とばかりに、買っちまったのでした。

うーん。この内容で、ああいうコピーを考えた編集者はエライ。方向としては、ロバート・L・フィッシュの『シュロック・ホームズの冒険』の路線を目指しているらしく、著者あとがきにも「江戸のシュロック・ホームズ」なんて書いてあります。これは、岡本綺堂の永遠の名作『半七捕物帳』が「江戸のシャーロック・ホームズ」を標榜していたところから来ているのでしょうが……手前味噌にもほどがあります。

第一話『餡久殺し』からして、話のマクラは古典落語『鰻の幇間(うなぎのたいこ)』からの丸パクリ、中心となる筋立ては『半七捕物帳』の『大阪屋花鳥』の流用、そして人間消失とやらは、たちどころにネタが割れてしまう体のもの。パロディというには笑えるところがないし、パスティーシュというにはいい加減で、何とも中途半端な、あからさまに言えば「面白くも何ともねえ」シロモノ。

主人公は、岡っ引き・鉄砲の弥八。銭形平次に対抗して、銭ではなく、固く炒った豆を投げつけることから“豆鉄砲の弥八”と呼ばれていたのが、縮まって鉄砲の弥八となった、という呼び名の由来が、第四話までの間に繰り返し説明されます。雑誌連載じゃないってのに……。鉄砲の弥八といえば、ポンポンと嘘をつくことからそう呼ばれている、落語『うそつき村』の主人公と同名ですが、だからといって大ボラ吹きに設定されているわけではなく、シュロック・ホームズと同様の勘違い野郎なのです。

しかし、シュロックの勘違いに全く気付かない相棒、ワトニイ博士とは違って、この物語の語り手は、普通の常識人であるように書かれています。つまり、弥八の回想談に付き合いながら、その解決に釈然としないものを感じて、自分なりの推理を披露し、それをまた弥八が笑い飛ばす、という構図になっているわけです。これがコシマキにあった「ええい面倒だ、手前で推理しておくんな!!」のコピーにつながるんでしょうが……無理がありすぎ。ちなみにこのセリフ、作中には出てきませんから、編集者が考えたものでしょう。

第二話『真説宇都谷峠』はメチャクチャにシュールな話なので、これは最初からそういうものとして読めば良いのかもしれません。しかしそうなると、第一話とのつながりがおかしくなってしまいます。第三話『ねずみとり』は、全四話の中でいちばんマトモ。言い換えれば予定調和的で、面白味はゼロ。第四話『もうひとりの黄門』も同様で、出来の悪い新作落語を聞いているような気分です。

ところどころに、トリビア的な江戸の知識が織り込んであるのですが、勘違いとホラ話で構成されている本の中でこういうことをされても、という感じ。それをキッチリ書き分ける技量がないだけでなく、言葉の使い方もいい加減。たとえば、「股ぐら」とすべきところが「股間」になっていたり、「泳ぐように出てくる」の使いどころが変だったり。どうしようもありません。巻末の解説を読むと、野崎六助が四苦八苦しながらも無理矢理ホメていて、この本で一番笑えたのはそこでした。もう二度と新風舎の本は買いません。たぶん。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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