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help RSS 『判事とペテン師』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/08/31 23:58   >>

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この小説を書いたヘンリー・セシルという作家が、実際にイギリスで裁判官をつとめていた人物だと聞けば、たいていの人は驚くでしょう。

古くからのミステリファンなら、北村薫が“創元推理文庫最強”とまで絶賛している『メルトン先生の犯罪学演習』とか、ちょっと『サトラレ』的な性質の主人公の設定が面白い『法廷外裁判』など、きわめてユニークな作品を残しているこの作家の名前は周知のもの。ですが、例によって絶版・品切れが多く、知名度はそれほど高くありません。

その経歴を活かして、法廷ミステリをいろいろ書いているセシルですが、確かに、法律家でなければこんなにリアルな法廷シーンは書けないだろうと感じる反面、いやしくも法の番人たる裁判官までやった人物が、ここまで書いてしまって良いのか、と考え込まされるような作品が多いというのが彼の特徴です。

弁護士などが、現役を引退してから作家に転身する例はそれほど珍しいわけではありませんが、セシルの場合、判事という公職のかたわら、このような作品を書いていたというのが異色です。そのため、彼は40代も後半になってからの作家デビューであるうえ、法律家を引退してからの著作のほうが少ないのです。

この『判事とペテン師』(論創社)は『メルトン先生の犯罪学演習』に続く第2作。全編が皮肉なユーモアに満ちあふれていて、なんとも形容しがたい面白さがあります。主な登場人物は、公正高潔で謹厳実直なことで知られるペインズウィック判事と、そのとんでもない息子マーティン。『判事とペテン師』という邦題は、この親子のことを指しているわけです。原題は“The Painswick Line”というのですが、直訳するなら、“ペインズウィックの血統”というところ。これは競馬用語に引っかけたものです。

今年、痴漢冤罪事件とその裁判の模様をテーマにした『それでもボクはやってない』という映画が公開され、話題を集めました。あの映画の中で描かれた日本の司法制度は、誰もがどこかおかしい、と感ずるようなシステムにしか見えませんでした。その一つの原因は、世間的な常識が通用せず、法廷という特殊な空間でのみ成り立つ、形式的な理屈がまかり通ることの恐ろしさではなかったでしょうか。

現実の事件を下敷きにしているとはいえ、あれはフィクションであり、ある程度は誇張や脚色があるに違いない、というのが映画を観ての私の感想でした。しかし、例の「光市母子殺害事件」の裁判で被告側弁護団のとった戦術のような、常識からかけ離れた主張が現実にあるのだ、という事実を目の当たりにさせられたのは、記憶に新しいところです。

法律家と呼ばれる人々の中には、“浮世離れ”してしまっている人間がこんなにいるんだ、と薄ら寒い気持ちになった方は多いでしょう。日本でも裁判員制度というシステムが始まりますが、これによって「常識が通用する裁判」が実現することを強く願ってやみません。

どんなシステムであろうと完璧ではないわけで、セシルの作品はそれをえぐり出してもいるんですが、その手法はブラックで皮肉なユーモアです。全編に笑いどころがあり、おかしげな登場人物たちの多くが判事や弁護士といった法律家なのです。こんなにも自覚的に、自分たちのおかしさを描けるというのは驚きです。でも本来、裁判官とはそういう人間性を持っているべきではないでしょうか。

もちろん、裁判官としてのセシルが、どういう裁判でどんな判決を下したのかはわかりません。しかし、この『判事とペテン師』を堂々と自分の著作として世に問えるような人物であれば、必ず公正な裁きが受けられただろうと推察します。法律の表も裏も知り尽くした、とはよく使われる表現ですが、この作品ほど具体的にそれが表現されている作品は他にない、とさえ思えるからです。

物語は、ルーシーという若い女性が、詐欺を行ったとして訴えられた裁判シーンで幕を開けます。ルーシーは競馬の賭け屋で事務員として働いていました。彼女を訴えたのはその賭け屋。彼女がトンプソンという架空の人物の名前で、不正な賭けを行っているというのでした。賭け屋に勤めている人間は、自分が賭けることを禁じられているため、ルーシーは偽名で馬券を買っていたわけです。

それがどうして発覚したのかというと、トンプソン氏ことルーシーが、あまりにも勝ちすぎているからでした。ハズレ馬券を買ったことがないのです。訴えられたルーシーは、偽名のことは認めたものの、どうやって当たり馬券ばかりを買うことができたのか、その手段を明かすことを拒みます。ルーシーが依頼した弁護士たちはいい加減で、彼女は有罪になりかけますが、3人目にようやくマトモな弁護士が登場します。

結局、彼女は当たり馬券を買い続けられた秘密を明かさざるを得なくなるのですが、それは不正な手段ではなく、誰もが仰天するようなことでした。彼女の父親である牧師が、レース結果を予測する天才であり、自分はその予想通りに馬券を買っただけだというのです。牧師は自分で賭けたことはない高潔な人物なのですが、純然たる趣味として馬の血統を研究しており、それに基づいた予想がズバズバ当たるのを見て楽しんでいたのでした。

裁判では、牧師はその信じがたい能力を示すことを求められます。そこで、適当に選ばれた4つのレースの勝ち馬を予想し、それが見事に的中するに及んで、ルーシーの主張が嘘ではないことがわかり、彼女は放免されます。が、牧師はどんなレースでも勝ち馬を当ててしまう人物として、一躍“時の人”になってしまいます。牧師館のある田舎町は、馬券で一儲けしようという人々や、牧師の予想を紙面に載せようという競馬新聞の記者などでごった返すことになるのでした。

さて、この事件を裁いたペインズウィック判事にはマーティンというドラ息子があり、詐欺まがいの行為を繰り返したあげく、3万ポンドもの借金を抱えていました。マーティンに泣きつかれた判事は、牧師の勝ち馬予想を聞き出して、何とか金を作ろうと決心するのですが、牧師は誰にも予想を教える気がないのでした……。

このあと、ルーシーとマーティンが出会い、恋に落ちるという展開になります。マーティンは生まれながらの詐欺師なのですが、ルーシーはそのままの彼を受け入れるのです。マーティンがもし刑務所に行くことになったらどうする、という会話の中で、ルーシーはこんなことを言います。「すてき、わくわくしちゃうわ。お互い飽きる暇もないってことよね? 結婚生活がだめになるのはそのせいが多いのよ。(中略)あなたがしょっちゅう刑務所に行くなら、お互いに飽きることもないし、久しぶりに会えたときはすごく盛り上がるんじゃないかしら」。

1951年に書かれたにしては、なんともブッ飛んだカップルですが、この2人がうまくいってしまうのが笑えます。マーティンは謹厳な判事の息子であることを利用して詐欺を繰り返し、やがて有罪判決を受けることにもなるのですが、その裁判の判決に到るまでのプロセスが克明に、しかも皮肉たっぷりに描かれているのが、本書の最大の読みどころと言えるでしょう。前作の主人公であるメルトン先生も、ちょこっと顔を出します。

謎解きミステリではありませんが、非常にユニークな“オチ”が最後に待ちかまえています。とにかくご一読ください。『それでもボクはやってない』のような、ガッカリさせられる結末ではなく、愛すべき変人たちが、なぜかみんなハッピーになってしまうのです。これを書いたのが現役の判事だったなんて……と、改めて驚かされること、請け合いです。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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