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zoom RSS 『死の相続』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/08/09 23:55   >>

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“怪作”という言葉は、あまりホメ言葉としては使われません。といって、全くダメな作品のことを、そのように評するわけでもありませんよね。

文字通り“怪しいところのある作品”なので、万人にはお勧めできない。でもそれを承知で読むつもりなら、止めはしないよ。というようなニュアンスでしょうか。とはいえ作家の場合、怪作ばかりを書いているとスティーヴン・キーラーみたいになってしまって、まともな評価の対象から外されます。こうなると、怪作家とは言われるかもしれませんが、その作品はもはや怪作とは呼ばなくなります。

だから、細かいことを言うなら、普段はそれほどでもない作品を書いている作家が、いきなり突拍子もない展開の作品を書いたりすると、それが怪作と呼ばれるようになるわけです。あるいは、特定のジャンルの中で、図抜けて奇想天外な、つまり奇想という枠すら、はみ出してしまっているような作品も、怪作と呼ばれることがあります。

ところが、日本で新本格のムーヴメントが起きて以降の作品群には、そういう“怪作”と“奇想天外な作品”との境界線を曖昧にしてしまうものが数多く含まれているように思います。“バカミス”なる言葉も提唱されていて、こちらも一種の愛情表現であるところがミソですが、怪作はみんなバカミスなのかというと、それも違う。極端な話「不可能犯罪を扱った作品なんて、どれもバカミスだ」と言うなら、それはそれで、ひとつの見識だと思うのです。でも「不可能犯罪を扱った作品なんて、どれも怪作だ」とはならないですよね?

くだくだしく書いてしまいましたが、怪作は傑作ではなく、名作でもあり得ない。たとえばカーター・ディクスンの『魔女が笑う夜』は怪作だから、カーを偏愛する人にしかおもしろがってもらえない。誰にでも勧めることができないのが、怪作の怪作たるゆえんなのだから、“オススメの怪作”なんていう言葉は、自己矛盾でしかない。私は、ずっとそのように考えていました。この『死の相続』を読むまでは。

この本は、きわめつきの怪作であると同時に、傑作でもあるという、希有な存在だと思うのです。極めてヘンテコな舞台設定、奇矯な登場人物たち、ジェットコースター的なめまぐるしい展開、それら全てが怪作の条件を満たしているにもかかわらず、不可能犯罪を取り扱った本格ミステリにもなっていて、アイデアも非常に優れています。

というのも、これはある有名ミステリ作家の著名な作品のプロットに、明らかな先鞭を付けた作品でもあるからです。少しでも書いてしまうとネタバラしになりかねませんので、作家名も明かせませんが、その著名作よりもむしろ、アイデアの活かし方が優れているとさえ、私は思います。ご都合主義的なところも若干ありますが、それを補ってあまりある面白さを備えているんです。

これを書いたセオドア・ロスコーという人は、いわゆるパルプ作家のひとりで、『死の相続』にもそれらしいB級感が漂っています。しかし、イギリスきっての不可能犯罪オタクであるロバート・エイディが、その研究書の中で「見逃されがちだが、見逃してはならない作品」として、ロスコーの『死の相続』及び“I'll Grind Their Bones”の2作を取り上げていることから、これらは幻の密室長編として、以前から一部の話題を集めていました。

『死の相続』が書かれたのは1935年。奇しくも、ディクスン・カーの『三つの棺』と同じ年です。ヴァン・ダインは前半6作を、そしてクイーンは国名シリーズの大半を書き終えており、クリスティが『ABC殺人事件』を出したころ、と言えばだいたいの時代背景がご理解いただけるでしょうか。作中人物が「ゾンビって何?」と尋ねるシーンがありますが、ゾンビ映画の原点ともいえる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が制作されたのが1968年のことですから、ゾンビなんていう言葉は、この当時誰も知らなかった、というわけ。そして、この作品の舞台は、ヴードゥー教のメッカ、タヒチなのです。

売れない画家であるカートは、友人であるパトリシア(ピート)をモデルにした絵を制作中。カートはピートにプロポーズしていますが、その返事は「絵を完成させるまでお預け」になっています。そんな2人のもとを、こびとのような黒人の弁護士、トゥーセリーネが訪ねてきます。彼は、ピートの遠縁であるアンクル・イーライが亡くなり、ピートがその遺産相続人のひとりになっているので、葬儀に参列するように、と話します。イーライはタヒチで大規模な農園を経営しており、その遺産は莫大なものらしいのですが、葬儀に出席しない者は相続権を失うと遺言されているため、ピートはカートとともに、トゥーセリーネの案内で空路タヒチへと飛びます。

彼らがイーライの屋敷である“モルン・ノワール”に到着すると葬儀が始まり、ピートとカートはイーライが相続人に指定している、7人の使用人とひきあわされます。奴隷監督のイギリス人、サー・ダフィン。農園管理人のドミニカ人、ティ・ペドロ。船の運転手、アンブローズ。馬小屋で働くゴリラみたいな男、トードストール。その母親で家政婦のグラディス。経営管理担当で、本名不明の〈少尉〉。ボディガードのドイツ人、マンフレッド。どいつもこいつも怪しげな人物ばかりです。

やがて、棺に入ったイーライの遺体の前で、遺言状が読み上げられます。遺言はまず埋葬方法について触れられていて、棺はきっかり3メートルの穴を掘って埋め、土をかぶせたあと、3.5メートルの鉄の杭を打ち込め、などと指示されていました(つまり、地面から打ち込んだ杭が、遺体の入った棺を50センチほど貫くという計算)。この奇妙な埋葬方法は、イーライがゾンビにならないための予防措置ということのようでした。

そして、遺産相続についての条項が読み上げられると、みんなは驚きます。「財産の全てはサー・ダフィンに譲られる。しかし、埋葬が終わったあと、24時間はどんなことがあっても絶対にモルン・ノワールを離れてはならない。該当相続人がこの条件を守らなかった場合、第二の候補、ティ・ペドロに相続権が移動する」。以下、同じ条件で7人の使用人が上記の順番で指定され、8人目がピートだったのです。つまり、7人の使用人たちが全員、相続権を失うことにならない限り、ピートには一銭も入ってこないというわけでした。

狂気じみた遺言のあと、全員の立ち会いのもと埋葬がおこなわれ、杭が打ち込まれます。その夜、突然銃声が鳴り響き、最初の殺人が起こります。殺されたのは、イーライの主治医であったドクター・セヴェストレ。ところが、事件発生の連絡をするまでもなく、その現場にハイチの憲兵隊が現れ、隊長のナルシースが捜査にあたると宣言します。

しかしその夜のうちに、ピートとカートの目の前でサー・ダフィンが射殺される事件が起きたのを皮切りに、相続人に指定されていた使用人たちが次々に殺されていきます。密室の中で頭頂部を打ち抜かれた死体あり、消えた凶器あり、怪人物の消失ありと、全てが謎めいた展開の中、カートに容疑が掛けられますが、そうこうしているうちに、ゾンビに率いられているというカコ(ハイチ土着の山賊)たちの反乱が起きて、憲兵隊も引き上げざるを得なくなり、事態はいよいよ狂乱の度合いを深めていきます。

とにかく中盤以降は怒濤の展開で、息つく暇もなく驚愕のラストへとなだれ込んでいきます。基本が雑誌連載の作品なので、読者の興味を持続させるための“引き”が随所にあり、「こんなの、どうやってオチに持っていけるんだろう」と思ってしまうほどなのですが、最後には全てがきちんと説明されるのですから、お見事と言うほかありません。不可能犯罪ファンだけでなく、あらゆるミステリファンに読んで欲しいと思う、超絶技巧の“怪作”なのです。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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