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zoom RSS 『悪魔はすぐそこに』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/09/26 23:56   >>

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最初のとこだけ、ちょっと読んでおこうかな、と思って本を開いたんですが、気が付けば最後のページ。しかも、すぐに再読したくなりました。

『ロイストン事件』のレヴューにも書きましたが、作者D・M・ディヴァインの本を次々に翻訳してくれていた社会思想社はすでになく、地味な作風のディヴァインが新たに訳される機会はないだろう、と私は思っていました。でも考えてみれば、当時すでに経営が悪化しつつあった社会思想社が、4冊もの作品を出したこと自体、奇跡的なことだったのかもしれません。それとも、意外に売れてたということなんでしょうか。

この『悪魔はすぐそこに』は、ディヴァインの残した13の長編中、第5作です。社会思想社から出ていたのは、1・3・4・6番目の作品でしたから、空席がひとつ埋まったという感じ。『ロイストン事件』は第3作、人気の高い『五番目のコード』が第6作なので、『悪魔はすぐそこに』は充実期に入ってからの作品という位置づけになると思います。もっとも彼の場合、処女作の『兄の殺人者』の時点ですでに、かなりの完成度に到達してはいるんですけど。今回、『悪魔はすぐそこに』を読んでみて感じたことの第一は、『ロイストン事件』のプロットをグッと洗練させたような物語だな、ということでした。

巻末解説で法月綸太郎も書いていますが、彼の描くキャラクターや人間関係には一定のパターンがあり、プロットの組み立てに合わせて、それぞれの役割がシフトするような書き方になっています。言い換えると、“ディヴァイン劇団”という、性格俳優ぞろいの劇団があって、上演する演目が変わると、配役も変化するような感じ。ある作品では俳優Aが犯人、俳優Bが探偵役、俳優Cが謎の人物……だったのが、別な作品ではAが探偵、Bが被害者、Cが犯人、というふうにシフトしていく、ということです。

そして、その俳優たちがみんな名優ばかり、というのが、ディヴァインの最大の特徴でしょう。つまり、ひとりひとりが血の通ったキャラクターとして生きており、ミステリなのに作り物じみた感じがしないのです。といって、昔の一部の社会派ミステリのような、乾いた芝居にもなっていません。登場する男女の間の、微妙な距離感がうまく描かれているだけでなく、そういうロマンスがプロットの中に違和感なく溶け込んでいて、物語が適度に潤っているんです。そのあたり、ジル・マゴーンによく似ていると、前から思っていたのですが、『悪魔はすぐそこに』を読んで、さらにその意を強くしました。

どんでん返しの妙や、サプライズの作り方のうまさも、ディヴァインとマゴーンに共通するポイントです。この2人が違うのは、ロイド&ヒルというシリーズ・キャラを持っていたマゴーンに対し、ディヴァインには複数の作品に登場する探偵役がいない、ということぐらい。ディヴァインを絶賛したというアガサ・クリスティの影響が良く言われますが、彼の作品はクリスティ作品より“大人の読み物”として優れています。反面、いわゆる“稚気”に欠けるところがあるので、それが地味な印象につながっているのかもしれません。

『悪魔はすぐそこに』の舞台は、超一流とは言えないものの、かなりの権威を持った大学。時代設定は、この小説の発表年と同じ、1966年です。物語の主人公のひとりピーターは、25才という若さで数学科の講師に昇進しており、男子学生寮の長も兼任しています。また、美女講師・ルシールと婚約しているという、誰もがうらやむ恵まれた境遇にありますが、それらすべてが、6年前に亡くなった父親の威光によるものなのでは、というコンプレックスも持っています。

ピーターの父デズモンドは、天才数学者として世界的に高名でしたが、極端に自己中心的な性格である上、女性関係も派手で、「インドのマハラジャ」と影で噂されるほどの人物でした。しかし、あるスキャンダルが起きた8年前を境に、精神的に破綻していき、それがもとで亡くなったのです。そのスキャンダルというのは、ある女子学生が妊娠し、もぐりの堕胎手術を受けた結果、死亡したというものでした。デズモンドが女学生を妊娠させたのだ、と主張する講師がいたため、彼は名誉毀損の訴訟を起こし、勝訴しました。スキャンダルの真相は結局わからずじまいでしたが、疑惑はその後もくすぶり続けたのです。

さて、亡きデズモンドの友人で経済学科の講師ハクストンは、ピーターのチェス仲間でもありました。いつものようにハクストンの家でチェスの対戦をしているとき、ハクストンはピーターに、自分が大学から追い出されようとしている、と話します。外部から就任した、経済学部のシモンズ教授が、ハクストンを邪魔に感じており、帳簿上の些細なミスを横領として問題にすることで、大学から追放しようと企てているのでした。

ピーターの婚約者ルシールは、ハクストンと同じ経済学部の講師で、そのあたりの事情を知っているはずだから、事態がどう進行しているのかを聞き出して欲しい、というのがハクストンの頼みだったのです。ハクストンは孤独な男で、学内でも孤立しており、ルシールも彼を嫌っています。ピーターがその点をルシールに問いただしてみると、シモンズ教授あてに匿名で、ハクストンの不正を告発する手紙が届いたことがきっかけだった、という答えでした。

ところでルシールは、事務職員のカレンと2人で一軒家に住んでいます。ある夜、カレンがひとりでその家にいるとき侵入者があり、カレンは後頭部を殴られて昏倒する、という事件が起きます。家に帰ってきたルシールとピーターが発見し、大事には至りませんでしたが、何も盗られたものはなく、誰が何の目的で侵入したのかは不明でした。

やがてハクストンの処分を決定するための協議会が開かれましたが、その席上、ハクストンは印象の悪い態度をとり、たどたどしい抗弁しかできなかったうえ、何やら報復の脅かしめいた言葉を繰り返したのです。また彼は学長に対しても、自分を追い出したらどうなるかわからないぞ、という警告の手紙を出したというのでした。学内でも良心的な存在として一目置かれている、法学部のラウドン教授は、ハクストンの解雇を不当なものだと感じ、彼に有利な材料を提出したりもしたのですが、今や処分は決定的になっていました。

しかし、ハクストンが自宅でガス中毒死しているのが発見され、自殺か事故か、あるいは殺人かよくわからないまま、処分の問題は立ち消えになったかと思われました。が、やがて警察は殺人の疑いを強めていきます。そして、ハクストンが死んだ夜、最後に家を訪れたらしいルシールに容疑がかかり、ピーターはその疑いを晴らすために活動を始めるのでした……。

もともと大学職員だったという作者ディヴァインの経験が十二分に活かされているようで、教授・講師・職員・学生などを含む大学内の複雑な人間関係が、見事に活写されています。登場人物は非常に多数で、裏表紙の見返しにまで一覧表がのびていますが、端役に至るまで個性がハッキリ描き出されているため、ゴチャゴチャした印象は全く受けません。それどころか、とても読みやすくて、ページを繰る手がもどかしいほどです。訳文もスムーズで、社会思想社のときの野中千恵子さんの訳より、適訳になっているような気がします。創元推理文庫は引き続き、ディヴァインの作品を出してくれるようなので、大いに期待したいところです。

なお、法月綸太郎による巻末解説の後半部分はネタバレ気味になっていて、予断を抱きたくない読者はここから先を読むな、という警告があります。でも、私から見ると、警告に入る前の部分にも、やや予断を持たせそうなところがあるので、いっそのこと、すべてを後回しにされることをオススメします。ですがこれだけは言っておきましょう。さりげない伏線の張り方が極めて巧みなので、私も法月氏と同様、すぐに読み返したくなりました。そして、二度目のほうがもっと楽しめるかもしれません。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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