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《絶版・品切れミステリコレクション》…その第12回として、32年前の“青春ミステリ”小峰元の『パスカルの鼻は長かった』を取り上げます。 先日、D・M・ディヴァインの『悪魔はすぐそこに』を読んで、その面白さを堪能したばかりなんですが、あの物語の核となっている事件の内容に、なんとなくデジャヴを感じていました。そこでつらつら考えてみて……思い当たったのが、小峰元の『アルキメデスは手を汚さない』でした。これは昭和48年の乱歩賞受賞作で、当時大ベストセラーになった本です。タイトルのワケわからなさと、“青春悪漢小説”なる、これまたワケわからないコピー、そして和田誠による素晴らしくもワケわからん表紙イラスト。そんな要素が重なったのが、売れた原因でしょうかね。人間、謎めいたものには心惹かれると言うことで。 小峰元(こみね・はじめ)は1921年生まれ。つまり、鮎哲センセや高木彬光センセとほぼ同世代。若いイメージがありますが、山田風太郎より年上なんです。デビューは終戦直後のカストリ雑誌時代と、長い作家キャリアはあるものの、乱歩賞受賞までは無名に近い存在でした。しかし、『アルキメデス〜』は売れに売れ、藤原伊織の『テロリストのパラソル』に抜かれるまで、歴代受賞作の中で売上げトップを誇っていました。去年、“東野圭吾が作家を志すきっかけになった本”てなコピー付きで復刊していましたが、調べてみると他の作品は軒並み絶版になっています。 彼の作品はどれを読んでも同じ、というような評が、わりと早いうちに定着してしまったのは、作家としての不幸だったかもしれません。まあ、講談社が2匹目3匹目のドジョウ狙いで『イソップの首に鈴をつけろ』、『ピタゴラス豆畑に死す』、『ディオゲネスは午前三時に笑う』……というような、どれがどれだったか、全然わからなくなるようなタイトルを続けさせたことが、ひとつの原因だったとは思うんですが。でも、その中で新味を出そうとして苦労した形跡も残っています。『クレオパトラの黒い溜息』は横書き小説。『ソロンの鬼っ子たち』はバリバリの社会派で、政界と新聞社の内幕もの。『ユークリッドの殺人学原論』では歴代乱歩賞作品を章題にしてみたり、『パンドラの恋愛能力共通一次テスト』では章ごとに違う女性を登場させて、仕掛け付きの連作短編にしてみたり。 流行に乗って『アルキメデス〜』を買っちゃった読者の多くは、現在で言えば赤川次郎ファンあたりに重なるんじゃないかと思うんですが、そういう人には、小峰の作風変化は受け入れてもらえなかったでしょう。結局、青春ミステリに戻った『ホメロスの殺人方程式』を書いたのが20年前で、それ以後は新作も出ず、1994年に亡くなっています。ただ、この青春ミステリ(何度も書くとこっぱずかしいですね)に限ってみても、実は2種類あって、今のライノベに近い一人称ものと、わりに重厚な三人称ものに分かれるんです。それらを総称して、講談社は“青春悪漢小説”なんて言ってたわけで、ミソクソ一緒な感じもあります。 それはともかく、この青春ミステリという分野は一種の風俗小説でもあるので、古びるのも早い、という気がします。今回、例の“長門有希の100冊”に入ってるというだけの理由で(w)『パスカルの鼻は長かった』を選んでみましたが、とっくに消えてしまった芸能人の名前とか、死語になってしまった流行語、古いCMのフレーズなどがゾロゾロ出てくるので、若い人には時代小説を読むより説明が必要なんじゃないか、と思ったりしました。文章は非常に読みやすいので、そういう枝葉の部分を気にしなければ問題ないとは思いますが。 ただ、ここで描かれている高校生たちのイキイキとした様子は、今の若い世代には羨ましく感じられるかも知れません。最近の作品、たとえば道尾秀介の『ソロモンの犬』あたりも、括りとしては青春ミステリということになっているようですが、あれに出てくる大学生たちのヘタレっぷりが、なにがしかの現実を反映しているのだとすれば、かわいそうな世代だなあ、と思わざるを得ません。 小峰作品がヒットしていたころには、あまりピンとこなかった“青春悪漢小説”というコピーも、今ならすんなり受け入れられそうな気もします。だって、今の若者に比べりゃ、この作品の登場人物たちは充分に“悪漢”してますから。もちろん、これを書いていたころの小峰はすでに50代だったわけで、どれだけ若者の実態を把握していたかは疑問ですが、当時これを読んでいた私たちに、それほど違和感がなかったことは書いておくべきでしょう。 『パスカルの鼻は長かった』は、学研の受験雑誌「高3コース」に一年間連載された作品だということもあって、「四月は立志どき」に始まり「三月には大願成就」に終わる、12の章に分かれています。殺人が起きるのは「九月はコロシの季節」の章なので、半分近くまで読み進まないと重大事件には発展しないわけです。それだけ、ミステリ味も薄くなってしまっているのは、仕方ないところです。というか、ミステリと言えるかどうかすら、微妙です。 物語の主人公は、作者と同名の小峰元。彼が高校三年生になった四月から始まります。同じクラスには悪友のホームズこと赤沢郁夫、マドンナ的存在の葉山志津子などがおり、小峰は志津子を「年内にヒモトクこと」を目標にしています。ところが、志津子は何か悩み事を抱えている様子。その内容を尋ねても答えず、「どっちみち、五月一日になれば、わかっちゃうんたけど、それまでは内緒」と言ってはぐらかすので、小峰たちは、志津子が妊娠したのではないか、と疑います。 問題の五月一日になると、志津子は小峰と待ち合わせた喫茶店で、食い入るようにテレビ画面を見つめたあげく、ヘナヘナとなってしまいます。訊けば、「きょう、テレビに出るはずだった」とのこと。芸能ディレクターと名乗る男にスカウトされ、クレオパトラ石鹸のCMに出るという話になって、入浴シーンを撮影したというのでした。もちろん、このディレクター氏はインチキで、若い女のヌードフィルムを撮影することが目的なのは明白です。 小峰は、軟弱だけど悪知恵の働くホームズや、ひょんなことで知り合いとなった他校の生徒、肉体派のストリカ(ストリーキングをしていたから付いたニックネーム)らと協力し、フィルムを取り返そうと悪戦苦闘。ディレクター氏を見つけたは良いものの、アジトに監禁されそうになったり、怪しげな黒服の男たちに追いかけられたり。しかも、フィルムを取り戻すだけで済むはずの話が、やがて殺人事件に発展し、おまけに警察にも追われるハメになって…… ちょっと実写版「ハレンチ学園」を見ているような(わかんない例えですよね)ハチャメチャぶり。小林信彦の「オヨヨ大統領」シリーズの影響も伺えます(これもわかんないか)。主人公たちは高校生としての日常生活を送るいっぽう、殺人事件の当事者として、事件解決のために右往左往することになります。この、日常と非日常の切り替えポイントが巧みに配置されていて、非現実的ではあるものの、主人公たちに妙な存在感を付与する結果につながっています。 結局こういうお話は、大人が青春時代に対して持つ郷愁とか、「自分にはこういう青春時代は送れなかった」という、いわばハチャメチャさに対する憧れとか、いろんなものがないまぜになった魅力を備えているからこそ、面白いんでしょう。でも、リアルタイムの高校生だったとしても、おそらく充分に楽しめたんじゃないか、と思います。ただしミステリとして読むには、プロットが極めて弱いと言わざるを得ません。そういう読み方をしたい方には、『アルキメデスは手を汚さない』か、『ディオゲネスは午前三時に笑う』あたりをオススメしておきます。 ※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。 |
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