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help RSS 『東方の黄金』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/10/02 23:52   >>

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クリスティやクイーンの人気作品ならいざ知らず、同じミステリが訳者を変えて3度も邦訳されるなんて、かなり珍しい出来事でしょうね。

この『東方の黄金』は、原題を“The Chinese gold murders”といい、まず1965年に東都書房から『黄金の殺人』(沼野越子訳)として初訳され、その後、1989年に三省堂から『中国黄金殺人事件』(大室幹雄訳)と邦題が変わって改訳版が出ています。つまり、今回で3度目の邦訳なわけです。ハヤカワのポケミスは、この“狄(ディー)判事”シリーズを和爾桃子(わに・ももこ)さんの訳ですべて出すつもりのようですから、やはりすでに講談社と筑摩書房から2種類の訳本が出ている、“The Chinese maze murders”も、いずれ3度目の邦訳が出ることでしょう。

狄判事シリーズの作者は、Robert Hans van Gulikという人ですが、この名前の日本語表記も、出版社によってバラバラになっています。今回、『東方の黄金』の訳者あとがきの中で、作者が日本のオランダ大使館に勤務していたときの名刺の写真が証拠として提示されていて、そこには「ヴァン・グーリツク」とカタカナで書かれています(促音のツは大文字で表記)。本人及び遺族の希望による表記は、ヴァン・グーリックとファン・ヒューリックのみ、だとのこと。このポケミス版では、オランダ語の原音に近いことから、ヒューリックを採用しているのだと思われます。

たとえば殊能将之の『美濃牛』(講談社)の中では、引用元のままに“フーリック”となっていますが、できればこういう細かなところまで、出版社には目配りして欲しいものですね。創元推理文庫なんか、タイトルが『クリスチィ短編全集』で、作者名が“アガサ・クリスティー”になっていた時期もありましたから(w)。まあこれは極端な例ですけど。ネット上での検索をスムーズにさせるためにも、各出版社の共同で、外国作家の名前表記を管理する参照元を作ればいいのに、と思ったりします。

さて、私家版を含めた場合、狄判事シリーズの長編は全部で15作あり、『東方の黄金』は4番目の長編ということになります。しかし、物語を時系列の順に並び替えれば、これがトップに来ます。この本の帯に、「ディー判事、最初の事件」と書かれているのはそのためです。冒頭のところで、新しい知事として任地に赴く途中、その後も長い付き合いとなる2人の副官との出会うシーンが描かれ、この4作目にして作者が本腰を入れて、狄判事クロニクルに取りかかろうとしているような印象を受けます。

狄判事は実在の人物なのですが、訳者の和爾桃子さんによると、「狄」という姓は漢民族起源のものだとは言い難いらしいですね。春秋戦国時代に剽悍な異民族が出没し、周王朝をはじめ漢民族の諸侯が治めていた国々をさんざんに悩ませたのですが、その異民族の呼び名が「狄」であり、彼らが帰化して漢民族化したか、混血して同化した可能性が高い、というのです。狄判事が優れた文官でありながら、武にも長けていたのは、そういう遠い祖先の血によるものではないか、と和爾さんは考察していますが、真偽はともかく、雄大な歴史の流れを感じさせる話です。

物語の舞台となる平来(ポンライ)という町は、当時の中国が軍事的に制圧していた朝鮮半島をのぞむ、東海のほとりにあり、抵抗運動の激しい朝鮮に対する武器密輸の疑惑とか、判事の副官、喬泰(チャオタイ)と朝鮮娘の悲劇的なロマンスといったものが織り込まれ、スケールの大きな物語にもなっています。初期を代表する作品だとの評がありますが、全作を通じても最上クラスの出来映えであり、レギュラーキャラの人物紹介も詳しいので、シリーズ未体験の方が最初に手に取るならこの作品が良いと思います。

その気であれば、大理寺(都の裁判所)の職にも就けただろうというエリート、狄仁傑。彼は2人の親友がとめるのも聞かず、前任の知事が殺されたばかりの町、平来の新知事になると主張します。「考えてもみろ、着任早々、殺人事件の謎解きを手がけるんだ! 味気ない書類の空理空論とはじきにおさらばだ! ようやくこれで生きた人間を扱えるぞ、諸君、ほんものの生身の人間を!」というわけです。しかし、政府の命令で現地に派遣された役人の調査報告では、知事殺害の下手人については何の手がかりもなく、動機も五里霧中。しかも事件記録の一部が公文書庫から消え失せている、というのです。

引きとめる友を振り切って、狄判事は老僕の洪(ホン)ひとりを供に、平来へと向かいます。しかしその途上、彼らは2人の追いはぎに遭遇し、身ぐるみ剥がれそうになります。義賊と名乗る彼らを、狄判事は言葉巧みに挑発し、剣の勝負へと持ち込んだあげく打ち負かしてしまいます。狄判事の心意気に感服した彼らは、平来の町まで追いかけてゆき、副官として働くことを誓うのでした。

さて、抜き打ち的に政庁を訪問したいと考えた狄判事は、事前の予告なしに平来へ到着します。政庁の上級書記をつとている湯(タン)は、狄判事の当然の入来に戸惑った様子を見せ、落ち着きをなくしていました。彼は政庁内に住んでおらず、家族とともに旅館で暮らしているというのです。理由を尋ねると、屋根の修繕を余儀なくされたからだと答えるのですが、狄判事はその態度に不審なものを感じ、何か気に病んでいる問題を抱えているのだろうと判断します。政庁の職員たちとの顔合わせをしてみると、方(ファン)という吏長が出勤しておらず、数日前に出かけて以来、行方がわからなくなっているのでした。

狄判事は湯に、前任知事の死体発見時の状況を聴取します。死因は毒によるもので、急須に残った茶の中に毒が入っていたのですが、茶筒に残った茶葉には毒はありませんでした。現場は内側から施錠された密室。前任知事は喫茶趣味に熱心で、庭にある井戸の水を自分で汲み、書斎の茶炉で自ら沸かすことに、つねづね非常にこだわっていた人物でした。急須や茶碗、茶筒などはどれも高価な骨董で、カギのかかる茶だんすにしまってあり、誰も触れられないような状況でもありました。つまり、密室の中でどうやって前任知事に毒を盛ったのかが、大きな謎だったのです。

狄判事は現場となった書斎などを検分するため、政庁内を調べようとしますが、その矢先、かざしたロウソクの明かりの中に、突然、ねずみ色の部屋着を着た、痩せた男が現れます。狄判事が誰だと問うと、男は音もなく通路の暗がりへつつっと逆戻りし、その瞬間ロウソクが消えて、何も見えなくなってしまいます。湯にその男の人相を話して、いったい誰なのか尋ねてみると、彼はぶるぶる震えながら、「亡くなられた知事さまです」と答えたのでした……。

オカルティックなムードと、密室殺人。まるでディクスン・カーの歴史ミステリを思わせるような道具立てになっています。こういう時代背景でしか成立しないトリックやプロットが上手く機能している点は、先日レヴューした『もろこし銀侠伝』にも通じるものがありますが、ヒューリックはさすがに中国での実体験の裏付けがあるせいか、トリックの種明かしにも説得力があります。

また、当時の中国と朝鮮との微妙な関係が、作品世界の奥行きをグッと広げてもいて、問題山積みの初任地での狄判事の奮闘ぶりに、さらに彩りを添えているように思います。といって、歴史的な知識が必要な展開でもなく、登場人物や特殊な用語には最後までルビが付けられているので、初めての方でも安心して楽しめるはずです。和爾桃子さんによる訳文も、以前の訳者さんたちに比べて読みやすく、活劇シーンの描写も思い描きやすいですから、武侠小説や『三国志』などのファンにもオススメです。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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