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3年前まで、聞いたこともなかった「論創社」という出版社の名が、今ほど海外ミステリファンの間で定着するなんて、誰が想像したでしょう。 2004年11月、「論創海外ミステリ」がスタートしたときのラインナップは、ジョン・クリーシーの『トフ氏と黒衣の女』、モリス・ハーシュマンの『片目の追跡者』、そしてE・W・ホーナングの『二人で泥棒を』の3冊。前2冊はともかく、ホーナングの短編集がこのタイミングで出てきたことは、非常な驚きでした。というのも、この本は30年近く前、創元推理文庫から「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の1冊として出版が予告されながら、ついに出なかった『ラッフルズの事件簿』に含まれるはずのものだったからです。 出版社が広告まで出しておきながら、その本が出ないなんていう経験をしたのは、私にとってそれが初めてのことでした。私の手元には、その時の広告が載っている「EQ」がありますが、それを見ると、「シャーロック・ホームズのライヴァルたち 第二期完結!」というキャッチと、「アルセーヌ・リュパンに対するイギリスの義賊ラッフルズ。歴史的な第一短編集を中心に代表作を網羅した決定版。初登場の『三月十五日』から始まる連作全十四編を収録した」という説明文まで、すでに出版されているかのような調子で書かれています。 当時の私は、この『ラッフルズの事件簿』がいつ出るのかと待ちかねて、書店に日参した記憶があります。地方在住者の悲しさで、新刊書は都会の書店とは違い、一週間〜半月ぐらい遅れて届くことも珍しくなかったからです。インターネット時代となった今では、考えられない話ですけどね。でも結局、『ラッフルズの事件簿』を手にすることはできませんでした。先ほど引き合いに出した「EQ」の新刊リストを見ると、まさに今月、長崎出版から出る予定の『大聖堂の殺人』の作者、マイケル・ギルバートの『ケイティ殺人事件』(集英社・絶版)が載っていて、腹立ちまぎれにそれを買って読んだことを思い出しました。この本も、今や稀覯本の仲間入りを果たしているようです(w)。 イギリスの女流作家、A・フィールディングが1926年に発表した『停まった足音』(論創社)は、そういう「予告されながら出版されなかった本」の代表例として、ファンの間ではつとに有名でした。巻末解説で二階堂黎人も書いていますが、初めてこの本が出版予告されたのは昭和10年のこと。しかし、これを含む柳香書院の「世界探偵名作全集」は中絶してしまい、その時のことを故・鮎川哲也御大も「予告された新刊はどこにも置かれていない。少年のわたしは人生最初の「失望」というものを味わった」と「柳香書院追想」の中で書いています。 『停まった足音』を出版予告したのはこの柳香書院だけでなく、前にも書いた早川書房のポケミス“空白の100冊”の候補でもありましたし、創元推理文庫から出る、とかなり具体的な話が出たこともありました。しかしいずれも、実現前に立ち消えになってしまったんです。思うに、これを原書で読んだ人の多くが、あまり面白くないと感じてしまったことに原因があるのではないかと思います。フィールディングの処女作“The Eames-Erskine case”は、戦前に『仮面の殺人』のタイトルで博文館から出ているのですが、これを読んだ江戸川乱歩は井上良夫あての手紙の中で、「100頁で投げました」と書いています。 その井上良夫の『探偵小説のプロフィル』(国書刊行会)によれば、「シャーロック・ホームズ流の神業を持つ超人の主人公が漸次影をひそめて、普通人のレベルに近い探偵の活躍が書かれ」た「新傾向の探偵小説」の一派として、まずF・W・クロフツの名を挙げ、次いでヘンリー・ウエイドとともにフィールディングの名を挙げています。こういう、十把一絡げ的な扱いをするには、クロフツとウエイドは違いすぎると思うんですが、去年ついに論創社から出た『停まった足音』を実際に読んでみると、フィールディングもクロフツとはかなり作風を異にしていたことがわかりました。 そもそもこの本が有名になったのは、ヴァン・ダインが「推理小説論」(創元推理文庫『ウインター殺人事件』に所収)の中で「すぐれた推理小説」の例として挙げているからだったわけです。しかし、乱歩がこれより先に『仮面の殺人』を読み、それがつまらなかったために、先入観にとらわれることの多かった彼の意識の中で、フィールディングが実際以上に過小評価されてしまったきらいはあるのではないか、と思います。乱歩は『幻影城』の中で、『停まった足音』のネタばらしをやってさえいますから、たぶん翻訳するほどのことはないと考えていたのでしょう(このネタばらしのことは、私も読み終わったあとで気付きました)。 好意的な評価をする人が少ない中で、唯一これを力作だと評したのが厚木淳氏くらい。古典には割と甘い評価をすることが多い森英俊さんでさえ、「魅力的なタイトルに比べると全体としての印象はいまひとつである」としています。そんなわけで、あまり期待せずに読み始めたのですが、これが意外に面白いんです。確かに、最初の100ページほどはモタモタしていますし、それ以後もダレる箇所がないではありませんが、そんなのは古典ミステリにはつきもの(?)。特筆するほどのことではありません。 タンジ夫人という35才の女性が、自宅の居間で死体となって発見された翌日、ロンドン警視庁のポインター主任警部が調査に乗り出すところから、物語はスタートします。その時点での検屍官の裁定は「不慮の事故による死亡」ということで片づけられそうになっていました。タンジ夫人はティーテーブルのそばで椅子に腰掛けたまま死んでいたのですが、かたわらには軍用拳銃が落ちており、それから発射された弾丸が心臓を至近距離から貫いていたのです。 拳銃は彼女自身のもので、指紋も本人のものしかなく、部屋や着衣にも乱れはありません。ちょっと触っただけで破れてしまいそうな、極めて繊細なレースをあしらった服にも、ちょっとした揉み合いでもすぐにひっくり返ってしまいそうな椅子にも、かすり傷ひとつなく、部屋からなくなったものも報告されていませんでした。しかし、タンジ夫人は銃を胸に押しつけられておとなしく座っているような女性ではなく、射撃の腕も一流だったのです。 事件当時、家にはメイドやコンパニオンなど数名がいましたが、銃声を聞いた者はいませんでした。銃にサイレンサーは付いていないので、おそらく、車が大きな音を立てて通り過ぎたときに弾が発射されたのだろうと、警察は判断していました。聞き込みの結果、タンジ夫人の友人たちは口を揃えて、彼女が上機嫌であったと話し、自殺も考えにくい状況でした。そのため、銃をもてあそんでいるときに暴発した事故であろうという結論になりかけていたのですが、引き金が極めて固いことや、銃に新しいキズが付いていること、そしてタンジ夫人の指紋がハッキリしすぎていることに、ポインター警部は不審を抱きます。 タンジ夫人と夫は、互いに多額の生命保険を掛けあっていましたが、その夫にはアリバイがありました。また、死体発見の直前に、家に来てすぐに消えてしまった謎の女性の存在が浮かび上がり、やがて大金がなくなっていることも判明。夫は事故説を主張しますが、保険会社から依頼されて調査に加わった新聞記者は自殺説を唱え、殺人の疑いを捨てきれないポインター警部と対立しながら調査が進んでいきます。そんな中、死亡直前の夕刻、庭を散歩していた夫人の背後に、誰かが用心深く忍び寄っているような足音が聞こえた、とメイドたちが証言します。その足音は、彼女らが室内の灯りをつけた瞬間、ぴたっと停まってしまった、というのでした……。 本格ミステリとしては、手がかりが充分示されているとは言えませんし、伏線もやや不足気味。しかし、トリックはしっかりしたものです。ラスト40ページほどには息詰まるようなサスペンスもありますし、そこまできてついに、「停まった足音」が重要な意味を発揮するところは、なかなかの読み応えを感じます。探偵役は個性に欠けますが、魅力はなくもありません。「他殺だとしたら、激しい性格のタンジ夫人が、なぜおとなしく射殺されてしまったのか」という謎を解明しようとする部分の推理など、堂に入ったものです。 カバンや鍵、楽譜(ストラヴィンスキーの!)といった小道具の使い方も巧みで、女性作家ならではの細やかな描写や、ウィットに富んだ会話もあります。要するに、ヴァン・ダインのは過大評価だったかも知れないけれど、他の評者が言うほどつまらない作品でもない、というのが読み終わっての感想です。少なくとも、ヴァン・ダインが同時に挙げたノックスの『陸橋殺人事件』とか、A・E・W・メースンの『矢の家』あたりと比べれば、むしろこっちのほうがずっと面白い、と私は思います。 ※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。 |
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ニコです。こんにちわ。 |
ニコ 2007/11/02 12:54 |
コメントありがとうございます。 |
のちんかん 2007/11/02 22:38 |
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