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zoom RSS 『収穫祭』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/12/15 23:53   >>

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枚数で『密室キングダム』を上回る大作。リーダビリティは高いのですが、読者によっては辟易させられるほど、いろんなものが過剰な作品です。

まずパッと目を引かれるのが、イタリアの画家ジュゼッペ・アルチンボルドの連作画《四季》の中でも、傑作とされる《夏》の1563年ヴァージョンを使った表紙デザイン。『収穫祭』というタイトルから連想したものなんでしょうが、もともとコラージュ風の絵だとはいえ、そして著作権などとっくに消滅している時代の作品とはいえ、すでに評価も定まっている古典絵画に血を飛び散らせるなんて、ちょっと思いつかないというか、思いついてもやらないアイデアです。この時点で眉をひそめる人も出てきそうですが、その血の付け方がまたニクイ。

この絵、人物の服の襟にあたるところにアルチンボルドのサインが編み込まれているんですが、ちょうどその上に血が飛んでいて、ほとんど文字が読めなくなっているんです。こんなこと、相当に自信のあるデザイナーでないとできないでしょう。タイトルとのバランスや色遣いといい、めったにお目にかかれないもので、ミステリの表紙としても抜群のインパクトがあります。作家は装丁に関わらないことが多いですから、単なる偶然なんでしょうけど、西澤保彦はこれまでの集大成的なものとしてこれを書いたようですから、表紙にもそれにふさわしい重量感は必要だったんでしょうね。

西澤氏はこの『収穫祭』(幻冬社)について、綾辻行人・霧舎巧との座談会(原書房『2008本格ミステリベスト10』)の中でこう発言しています。「そもそも、出発点はミステリじゃないものを書こうと思って(笑)。閉塞状況で連続殺人が起こって、それがだいたい三部構成で、三世代にわたって似たような事件が反復される。その都度、犯人も判明する。読者は当然、最後にひっくり返しがあるんだなと思う。ところがひっくり返しは何もなく、そのまんまで終わりましたという、読者激怒ものの話を考えていたんです(笑)。それで突っ走ってやろうと一時は本気で考えていた。(中略)ただ体力が続かなくて、結局はミステリになってしまいましたが(笑)」。

人物や地理に関する描写がやたらと細かくて、謎解きにはいっさい必要ないのに、舞台となる村の家々の配置まで、すっかり頭に入るほど書き込まれているのは、そうした執筆開始時点での意気込みからきているのかもしれません。最初に書いたようにリーダビリティは高いので、読むこと自体には全く支障はなかったものの、「ミステリ」を読みたいと思って本書を手に取った読者の中には、この長さに違和感を持ってしまう人がけっこう出てきそうな気もします。

引用した発言には「だいたい三部構成」とありますが、できあがった『収穫祭』は五部構成になっています。ただし、第四部と第五部は合わせても40ページに満たない長さ。全体で600ページ(1944枚)もある本書に占める割合からすればわずかです。第一部〜第三部でそれぞれ事件が起き、一応の決着をみる、というところまでは当初の構想通りだったのでしょうが、「結局はミステリになってしまいました」という言葉通り、物語は反転を繰り返します。

それどころか、これまでの西澤作品にもたびたび持ち込まれていたガジェット……つまり記憶の改変や混乱、トラウマ話、それらにからむエロティックなネタといったものがストーリーの中核にあり、主題となる事件も、クローズドサークルでの連続殺人とミッシングリンクがテーマ。しかもそれぞれが、これでもかというほどの規模で扱われています。その上、エロティックなシーンがかなりの頻度で描かれるので、その過剰さに辟易させられる方は少なくないと思います。

もっとも、エロティックと言ってもハアハアするようなものではなく、どこか映画やエロビデオの中のそんなシーンを、第三者的に描写しているような感じ。どの章も視点はほぼ1人に固定されているのですから、ちょっとおかしな話ですが、結局どの語り手も、アイデンティティがしっかり保持されていないような、心が肉体をちゃんと支配できてないような造型になっているために、私はそう感じたのだろうと思っています。具体的には、映画『アメリカン・ビューティ』でケヴィン・スペイシーが演じた主人公のことを連想しました。

この長大な物語に主人公と言える存在があるとすれば、それは第一部と第三部で語り手をつとめる伊吹省路(いぶき・しょうじ)ということになるでしょう。彼は「第一部 一九八二年 八月十七日」では中学三年生、「第三部 一九九五年 八月〜十二月」では二十八歳、高校の非常勤講師として登場します。第一部の舞台となるのは、架空の県の架空の村。首尾木(しおき)という名のその村は、省路の家がある北西区と、中学校などがある東南区に分かれています。両区の間には川があって、老朽化した2つの小さな橋でつながっています。

過疎化が進む村の中でも、北西区のほうは特にひどく、6世帯しかありません。省路と同級生である空知貫太(そらち・かんた)と小久保繭子(こくぼ・まゆこ)も北西区に住んでいて、この2人は彼と彼女という関係であるため、省路は繭子のことを田舎っぺのそんなに可愛くもない娘だと思いながら、気にもなっています。省路の両親は別居しており、父親は開業医で、村の人間が“お町”と呼んでいる、隣の南白亀(なばき)町に住んでいるので、省路は口うるさい母親と祖母と同居しています。

台風が接近していたその日、村で事件が起きます。省路と貫太、遊びに来ていた元木雅文(もとき・まさふみ)の3人が繭子の悲鳴を聞き、彼女の家に行ってみると、繭子の両親と兄が鎌で惨殺され、電話線が切られていました。貫太の家に戻って通報しようとすると、そこでも貫太の父親が同じように殺されており、ここでも電話線が切られています。その後、電話を求めてすべての世帯を回る4人でしたが、やがて住民全員が殺されているのに気付くのでした。しかも、2つの橋のうちひとつは増水した川に流されてしまい、もうひとつの橋にはガソリンが染みこんでいたらしく、雅文が自転車で渡ろうとしたそのときに発火して、こちらも彼とともに流されてしまいます。

やがて、切られた電話線をなんとかつないで通報することに成功しますが、すぐには警察もやって来られないため、3人は一夜を明かす場所を求めて、廃校となっている小学校に行きます。そこには、“シバコウ”とあだ名された、中学校の暴力教師の車が停まっており、トランクの中に人が閉じこめられている様子。3人が車を調べていると、校舎から怒り狂ったシバコウが全裸で飛び出してきて、貫太を半殺しの状態にして放置したうえ、省路と繭子を校舎に引きずり込みます。そして教室の中には、全裸にされた中学の美人英語教師が、縄でぶら下げられていたのでした……。

こうして、計15人も死亡する第一部の事件に続いて、第二部・第三部・第四部でもそれぞれ多数の人間が死んでいきます。しかも、物語はさらなる惨劇を暗示したまま終わってしまいます。謎の大部分は解決されるものの、必ずしも納得できるものばかりとは言えないので、そういう部分に不満を持つ読者もいるでしょう。しかし、ミステリ的な伏線の張り方、細かく提示される手がかりといったものによって、本格ミステリとしての形はなんとか保っていると、私は思いました。

結局、『収穫祭』という謎めいたタイトルの意味は、第四部でようやくちょっと示され、第五部の最後のページでハッキリ書かれるのですが、ここまで読んで本当にゾクッとさせられました。途中の惨劇シーンは、劇画的な印象なので、恐怖感にはあまりつながらないのですが、ある登場人物の悪意に満ちた企みと、首尾木村という特殊な環境が、すべての惨劇の根元として存在していたことが示されるエンディングは、「怖い」のひとことです。プロローグ的な話を最後に持ってくるというやり方は珍しくないですが、これは最も効果を発揮した例だと言えるのではないでしょうか。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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