|
米澤穂信の作品としてはちょっと珍しい大作長篇。「ミステリマニア向け」と評する人が多いようですが、はたして本当にそうなんでしょうか。 結論から書いてしまうと、マニア向けというのは半分当たり、半分ハズレじゃないかと思います。いちおう、マニアの端くれとして言わせていただくなら、確かにこれがミステリ初体験というような読者には勧められないけれども、かといって年季の入ったマニアを喜ばせるような書き方にもなっていません。本格ミステリマニアにとって、本当に面白くなるのは300ページを過ぎてから、大団円の直前までなんです。物語の最初のほうに「ノックスの十戒」をもじったものが出てきて、その中に「ワトスン役の知能は主人のそれよりも僅かに劣ることが望ましい」とありますが、その伝でいくなら「この本の読者のマニア度は作者のそれよりも僅かに少ないことが望ましい」という感じです。 世界観の不完全さは北山猛邦の『少年検閲官』(東京創元社)あたりと同じ程度ですが、『インシテミル』(文藝春秋)のほうは完全に虚構だと割り切って読めるような作品なので、あまり気にはなりません。それより、マニア的な感覚に対するフォローがキチンとしてないことのほうが気にかかるんです。ここで具体例を挙げても、それこそマニアにしかわからないでしょうけど。たとえば「ボウガンなら、『僧正』より『ユダの窓』だよなあ、もっと言うなら『女相続人』とか」なんていうのは(w)。その違和感が仕掛けの一部にもなっているんですが、違和感そのものの積み残しもたくさんあります。 早い話、「ノックスの十戒」の存在を知っていて、おぼろげでもその条文が思い浮かべられる程度の読者が、全編を一番楽しめるのではないでしょうか(世間的には、それをマニアと言うのかもしれませんがw)。もし未読なら、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』(クリスティー文庫)と綾辻行人の『十角館の殺人』(講談社文庫)ぐらいは目を通しておくべきでしょう。ついでに言うと、米澤ミステリ、特に“古典部シリーズ”、とりわけ『愚者のエンドロール』(角川文庫)を先に読んでおいたほうが、この作品をミステリとして面白く読めるのではないかと思います(そう思う理由は、プロットの根幹に関わることなので、ここでは述べません)。 ネット上に転がっている小さな書影ではよく見えないんですが、表紙には“THE INCITE MILL”という英文字も並んでいます。実際に本書を手に取ってみるまではそれに気付かなかったので、私は素直に『インシテミル』とは「淫してみる」のことなんだろうと考えていました。結果からいえば、それは当たりだったのだろうと思いますが、このタイトルからは誰が「淫してみる」のかを読みとることはできません。作中で、主人公がそのことに触れている箇所は非常にさりげなく、伏線読みの好きな読者のアンテナを刺激する書き方になっています。 でも考えてみると、結局「淫する」ではなく「淫してみる」というノリの軽さを発揮しているのは、作中の誰でもなく、他ならぬ作者自身です。一見、これまでとは違う力の入った大作をものしたように見えながら、その実ちょっと淫してみただけだよ〜ん、というような照れや屈託とか、ガチガチの本格ミステリマニアに対する皮肉とか、それらを内包した作品そのものの仕掛けとか、いろんなものが詰め込まれたうえに、英題としてシャレにもなっている。深読みなのかもしれませんが、とても良いタイトルだと思いました。 物語は、貧乏大学生・結城理久彦(ゆうき・りくひこ)が、コンビニで全く浮世離れしたような美女・須和名祥子(すわな・しょうこ)と出会い、世間知らずな彼女の求めに応じて求人情報誌の読み方を説明するうち、時給112,000円という法外な金額が提示された「モニター募集」の広告を見つけるところから始まります。広告にはこうありました。「年齢性別不問。一週間の短期バイト。ある人文科学的実験の被験者。一日あたりの拘束時間は二十四時間。人権に配慮した上で、二十四時間の観察を行う。期間は七日間。実験の純粋性を保つため、外部からは隔離する。拘束時間にはすべて時給を支払う」。 寝ている時間も時給付きという条件につられて、車が欲しい結城は、半信半疑ながら応募書類を送り、「実務連絡汎機構」と名乗る相手から採用が決定したとの電話を受けます。そこで、結城は例の時給額が誤植などではないと聞き、しかもボーナスの可能性があることも告げられます。最終的な参加の意思確認を求められた結城は、実験の具体的な内容を尋ねますが、それは教えられないとのこと。結局、彼はこの実験に参加することになります。送られてきた切符で列車に乗り、どこだかよくわからない駅で降りると、そこには迎えの車が来ており、結城は山の中の曲がりくねった道を運ばれたあげく、小高い丘の上に建てられた平べったい円形の建物へと到着します。 中に入ってみると、そこには十数人の人間がおり、中にはあの須和名祥子もいました。彼女も参加していたのです。やがて、実験に関する条件の説明が始まります。その条件とは、七日間の期間中、一分一秒たりとも例外なく〈観察〉されるということ、病気やケガがあっても途中でやめることはできないこと、食事や病気になった場合の治療などのすべてを万全の態勢で世話すること、そして、モニターのメンバーが何らかの不法行為をした場合でも、日本国の法律に従うのではなく、責は機構側が負うこと、などでした。つまり「トラブルは全て内々に解決する。警察には知らせない」ということだと、結城は理解します。 衣服以外の私物は何一つ持ち込んではいけないという説明があり、須和名の抗議によって女性メンバーのみ、化粧品を持ち込むことが許可されます。そして最後には「この先では、不穏当かつ非倫理的な出来事が発生し得ます。それでも良いという方のみ、この先にお進みください。そうでないという場合は、立ち去ることをおすすめします。……もっとも、それらの危険に見合うだけのものは、ご用意しております」と告げられ、結局全員がボディチェックのあと実験場所へと進みます。それは地下に設けられた〈暗鬼館〉という施設。ラウンジの天井に穴があり、そこから12名のモニターたちが降りたあとハシゴが引き上げられ、穴のフタも閉じられて、全員が隔離された状態になります。 ラウンジには12体のネイティヴアメリカンの人形が並んでいて、結城たちは気味悪く感じます。人形はそれぞれカードを持っており、モニターたちは全員、適当なカードを選んで手にします。すると放送が始まり、手に取ったカードキーに記された番号の個室に、午前0時までに入室するよう伝えられます。結城が選んだカードは6番、須和名が選んだのは7番のカードで、2人は隣同士の個室になったのでした。個室をつなぐ回廊は細かくカーヴしていて、隣といってもドアは見えません。また、そのドアにはカギがないという、意図のわからない設計になっています。 結城のベッドの枕元には箱があり、例のカードキーで開けることができました。中には黒くて重たい金属製の棒と、三つ折りにされた〈メモランダム〉という紙が入っており、その棒が〈殴殺〉に使える「火かき棒」であることなどが書かれていました。翌朝、いきなり須和名に起こされた結城は、彼女の部屋のドアにもカギがないこと、そして毒薬が入った緑のカプセルと〈メモランダム〉が、彼女の部屋の箱から出てきたことを告げられます。やがて昼食時となり、全員が食堂に集まると、また放送が始まり、実験の目的やボーナスのルールなどが、ついに説明されます。それは、まさにとんでもないものだったのでした……。 微妙にミステリのお約束を外しながら進む物語ですけれど、基本的には『そして誰もいなくなった』から連なる長い系譜の中の一冊であり、また、そのこと自体が本書の仕掛けの一翼を担っています。小さな矛盾を感じるところや、放置されてしまった謎もありますが、プロットは良くできていると思います。しかし、私にとってこの主人公は、感情移入しにくかったのも事実です。ジェネレーションギャップというヤツかいな、とも思ったんですが、しばらく読み進めていくうちに、「あれ? この主人公のイニシャルって“KY”だったかな?」と感じる瞬間がありました(実際には“RY”)。終わり近くには、「空気の読めないミステリ読み」などというセリフも飛び出します。 ロジックは綺麗で、特に、112,000円という中途半端な時給の額にも、ちゃんとした意味があったことがわかってくるあたりは、スリリングですらあります。ただ、謎解きの快感を味わえるタイプの物語ではなく、細々とした未解決の不審点(作中人物が口にするものも、そうでないものも)が残ってしまうので、読後感がスッキリしません。しかし、続編が書かれることを匂わせた終わり方になっていますから、その時には不審点の一部は解決されるものと期待したいところです。それと……私が読んだのは初版だろうと思うんですが、367ページの終わりから2行目に、雰囲気ぶち壊しのひどい誤植(作者のカン違い?)があります。こういう場合でも、ミステリだと正誤表すら入れられないのが、ちょっと悲しいですね。 ※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。 |
| << 前記事(2007/12/27) | ブログのトップへ | 後記事(2007/12/29) >> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
のちんかんさん、はじめまして。 |
ia. 2007/12/30 00:47 |
はじめまして。コメントありがとうございます。 |
のちんかん 2007/12/30 06:16 |
| << 前記事(2007/12/27) | ブログのトップへ | 後記事(2007/12/29) >> |