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zoom RSS 『クロエへの挽歌』 を読んで。

<<   作成日時 : 2008/01/16 23:56   >>

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イギリスの劇場文化などに興味のある方には、特にオススメの本格ミステリ。小説としての読み応えもたっぷりで、満腹感を味わえる物語です。

この『クロエへの挽歌』(新樹社)は、イギリスの女性ミステリ作家マージェリー・アリンガムが1937年に発表した第9長篇。アリンガム自身が「当時の社会のある側面と殺人ミステリの融合をはかった」と言っている3部作の、まん中にあたる作品です。この3部作の第1作が有名な『判事への花束』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)で、おととし国書刊行会から「世界探偵小説全集」の第40巻として刊行された『屍衣の流行』が3部作のラストにあたります。

名前は知られていながら、3部作中で最も面白くない『判事への花束』が邦訳されたのは1956年。それから実に半世紀を経て、ようやく3つの作品がすべて出そろったことになります。アリンガムは別名義の作品も含めて、全部で24の長篇を残していますが、古典ミステリの復活ブームが起きるまでは、その『判事への花束』のほか、『幽霊の死』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)、『手をやく捜査網』(六興出版部・絶版)、『反逆者の財布』(創元推理文庫・絶版)ぐらいしか邦訳がなく、後2者は早くから絶版になってしまったうえ、前2者も絶版状態が長かったので、ほとんど短編しか読めない時期が続いた作家でした。

江戸川乱歩は『世界短編傑作集』(創元推理文庫)の第3集に、アリンガムの『ボーダー・ライン事件』という作品を選んでいて、これはちょっと面白いアイデアの不可能犯罪ものなんですが、基本的にはこの作家をあまり評価していなかったようです。アガサ・クリスティ、ドロシー・L・セイヤーズ、そして先日ご紹介したナイオ・マーシュと並んで「イギリス四大女流ミステリ作家」の1人に数えられながら、翻訳がなかなか進まなかったのもそのせいでしょう。

乱歩は『幻影城』の中で、ハワード・ヘイクラフトが『幽霊の死』を、そしてジェイムズ・サンドゥーが『判事への花束』を、それぞれアリンガムの代表作あるいは最高傑作として推していることに注目し、『判事への花束』を読んだうえで、このように述べています。「どうも筋が面白くないように感じた。貴重な文書にからまる、ある出版社内部の殺人事件、法廷の場面も多く点出されているが、トリックにはこれという創意もなく、それに代わる大きな美点も私には発見できなかった」。こんな評価がひとり歩きすれば、アリンガムを積極的に紹介しようという出版社も出てきませんよね。

『幻影城』を読むと、乱歩はアリンガムより、むしろナイオ・マーシュのほうを買っていたようなニュアンスを感じます。乱歩自身がヘイクラフトとサンドゥーという、当時高名だった2人のミステリ評論家の意見に呪縛されていたように、日本の翻訳ミステリ出版の世界も長らく乱歩の呪縛を受けていましたから、ようやくそこから解放された現在、アリンガムが次々に訳されるようになったのは喜ばしいんですが、マーシュが逆に冷遇されているのはちょっと皮肉ですね。

さて、美点が発見できないと乱歩に言われてしまったアリンガムですが、アガサ・クリスティはエッセイの中で、自分がアリンガムの愛読者であることを告白し、存在感のある人物や雰囲気を描き出す筆力と、アリンガム独特の優雅なスタイルを高く評価しています。クリスティにとって、これらが自分の作品に欠けている部分だという自覚があったからだと思われます。トリックの創意を最も重視していた乱歩には、結局アリンガムの面白さが理解できなかったんでしょう。『クロエへの挽歌』もそういう美点に溢れた作品で、小説としての面白さは抜群に高いと思います。

といっても、アリンガムは別に純文学系の高尚さを持った作家というわけではなく、文章中からはそこはかとないユーモアも漂っています。彼女の作品のほとんどで探偵役をつとめるアルバート・キャンピオンは、やや頼りない感じの人物として描かれていることが多く、本作中ではなんと、関係者の妻に一目惚れしてしまって、事件解決を投げ出そうとするまで苦悩します。しかし、同じように苦悩する探偵といっても、たとえばエラリイ・クイーンの『十日間の不思議』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などとはちょっと異なり、キャンピオンの苦悩ぶりはなぜかおかしみを生んでさえいるんです。

この物語は、ロンドンで上演されているミュージカル劇『老いぼれ』の原作者ウィリアム・ファラデーが、劇場にキャンピオン氏を招いたところから始まります。『老いぼれ』の主役をつとめている人気俳優でダンサーのジミー・ステインが、何者かによって、この1ヶ月というもの、さまざまな嫌がらせを受けており、精神的に少しずつダメージを受けているので、その相談に乗って欲しいというのでした。ステインは花形俳優としてかなりの人気を集めていて、『老いぼれ』はその夜が300回目の記念公演でした。

嫌がらせの内容は多岐にわたっていました。一番最初は、劇場に掲示された「満席」のサインに「先週は」と書かれた紙が貼られたこと。それから、天井桟敷で誰かが奇声を発して、盛り上がった場面を白けさせたり、またそのことを新聞に垂れ込んだりといったことが続きました。ステインの写真が飾られたところのガラスは定期的に割られ、二日に一度は入れ替えなければならない始末。ドーランのスティックにピンが仕込まれていたこともあり、気付かずにそれを使ったステインの顔には傷ができていました。

ステインは、元警部の私立探偵・ブレストに調査を依頼していましたが、全く成果は上がっておらず、キャンピオンがその話を聞いている最中にも、楽屋にニンニクの花束が届けられるという出来事が起こります。また、郊外にあるステインの自宅でも、夜中に誰かが庭に侵入して足跡を残していくという不審な事件が続いており、キャンピオンがステイン宅に招かれた日には突然、200人もの人々が同時に、ニセの招待状に騙されて押しかけてきました。

キャンピオンは、ステインの身近にいる人間の中に、嫌がらせの張本人がいるに違いないと考え、ステイン宅にやって来たのですが、ここにはステインの家族である妻と娘、妹のほか、さまざまな人々が集まっていました。ステインの広報係ピートリー、相手役のスリッパーズ、代役俳優のコンラッド、作曲家のマーサー、マッサージ師のフィンブルーフ、マネージャーのポイザーといった、いずれも一癖ある人物ばかりですが、中でも異彩を放っていたのが、二年間の植民地巡業から帰国した直後、ステインが起用したダンサーのクロエ・パイでした。

クロエはかつて人気を集めていたダンサーでしたが、もう40歳を過ぎていて、肉体はともかく容貌がかなり老け込んでおり、ステインが突然このミュージカルに起用したことを、周囲の人間は不思議に思っていました。クロエはステイン宅でも傍若無人にふるまい、筋肉質の肉体を誇示するかのように水着姿で歩き回り、媚態をふりまくなど、かなり迷惑な存在となっていました。そんな中、キャンピオンはステインの妻リンダに一目惚れし、2人だけになったきっかけを捉えて話し込んでしまいます。

会話はとても盛り上がり、リンダのほうも好意を見せたため、自制心を失ってキスしようとしかけたキャンピオンでしたが、はっと我に返り、リンダは立ち去ります。そしてその時、ステインの「誰か来てくれ」という叫び声が聞こえ、人々が集まると、ステインは「クロエを轢き殺したんだ……あっちから車に飛び込んできた」と話します。ステインの話によると、彼が敷地内の私道で自動車を走らせていたとき、突然クロエが目の前に現れ、轢いてしまったというのです。現場は小さな橋と交差しているところで、クロエはその橋から車の前に落ちたものと思われました。しかし、キャンピオンは水着姿のままのクロエの死体を見て、あまりにも流れた血が少ないことに不審を抱くのでした……。

悪意あるイタズラから端を発した事件が殺人へと発展し、関係者各自の思惑がからんで、次第に予想外の展開を見せていくところは、アリンガムの作品の中でも最上位だと言える面白さです。単純な殺しに見えるクロエの死にも、ある特殊な事情が隠されています。登場人物はかなり多く、誰も彼もが怪しいので、逆に誰が犯人であっても意外性という面ではやや弱くなってしまうわけですが、フーダニットとして読むなら難易度は高いほうだと思います。

後半になると、思いがけない人物が意外な状況で殺されたり、身元のわからない死体が登場するなど、物語の開始時点では想像できないプロットになっていきます。というわけで、ミステリとしての面白さも充分に備えていますし、小説としての完成度も高く、最後まで間然とすることのない秀作に仕上がっていると思います。やや単調な展開の『判事への花束』などではなく、こちらのほうが先に翻訳されていたとしたら、日本におけるアリンガムの評価は変わっていたかもしれません。海外の古典ミステリファンなら、見逃してはならない一冊だと思います。

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