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help RSS 『首挽村の殺人』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/07/02 23:48   >>

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ファンではないのに、全ての作品を読んでいる作家、というのが何人かいます。こんなの、マニアの性(さが)としか言いようがないんですが。

私にとって、その代表例は綾辻行人です。どうにも、あの文章は肌に合いません。新本格の代表みたいなポジションにありながら、他の作家たちに比べて、ミステリの読書量がやや少ないんじゃないか、というような印象を受ける(あくまでも、そういう感じがするというだけで、根拠はありませんが)ことも、理由のひとつです。が、何より大きな理由は、結末にたどり着く前に真相が見えてしまうケースが多い、ということです。

前にも書いたことですが、私は物語に「驚き」を最も求めています。そのため、できるだけ推理はしないように、予想も立てないようにしながら読むことを心がけています。それでも結末が予測できてしまうのは、作者のメンタリティとの相性の問題でもあるでしょう。その意味で、綾辻作品との相性は最悪なのです。

そして、“綾辻行人氏絶賛!”みたいなコピーがついている本との相性も、やはり悪いことが多いのです。これは、ある程度は先入観が邪魔しているせいなのかもしれません。ただ、この本『首挽村の殺人』は第27回横溝正史ミステリ大賞の受賞作であり、帯には「これが二十一世紀の横溝正史だ」とも書いてあります。

しかも作者・大村友貴美(1965年生まれ)はこの賞だけをターゲットに、20代のころから投稿を続けてきたという、まさに横溝賞一筋な人、ということにも興味を惹かれました。それで、私にとっては鬼門の“綾辻行人氏絶賛!”なのに、ついつい買ってしまったのですが……。

横溝の場合、戦時中の疎開先であった岡山県を作品で取り上げることが多かったのですが、この大村友貴美という作者は岩手県滝沢村在住ということもあってか、『首挽村の殺人』も 岩手県の雪深い村・鷲尻村(この村が、作中“首挽村”という不吉な名前で呼ばれている)を舞台に選んでいます。そして『八つ墓村』のごとく、“よそ者”が村にやってきた途端、村に伝わる昔話に見立てた連続殺人が起きて、次々に人が死ぬ、という展開。こういうところは、確かに横溝っぽいと言えなくもありません。

ですが、実際に読んでみると、横溝の匂いは全くしません。その原因は何かといえば、ストーリーではなく道具立ての違いにあると思うんです。例えば、『犬神家の一族』の犬神家、『悪魔の手毬唄』の仁礼家と由良家、『獄門島』の本鬼頭と分鬼頭、『八つ墓村』の田治見家、『女王蜂』の大道寺家、『本陣殺人事件』の一柳家……典型的な横溝作品には、必ず中心的な旧家の存在がありますが、この作品にはそれにあたるものがない。この時点で、横溝的な話作りとは路線が違うので、村の因習が、などと言われても迫力が感じられないのです。

代わりにあるのは、かつての社会派ミステリが取り上げていたような、産廃処理や過疎化など、近代社会が抱えている問題点です。ところがこの作品の場合、もう一つの要素が“人を襲いまくる巨大な熊”の存在で、物語の複雑化や、サスペンスを生み出す意図で入れたものでしょうが、いかにも付けたり的になってしまい、あまり効果を上げているとは思えません。

要するに、相性の善し悪しを考えずにいろんなものを取り込もうとしすぎて、どっちつかずの印象になっているだけでなく、肝心な解決への道筋が書き込み不足になり、説得力を失う結果を生んでいます。

横溝賞の選考委員の一人、北村薫はこう言っています。

ちょっと引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
選考会に臨むまでは、《これはないだろうな》と思っていた。横溝正史的すぎ、また犯人の設定なども、いかにも本格の公式通りと考え、物足りなかったのだ。しかし、選考会での支持者の、《単に横溝の世界と見るのは誤りで、そこに新しい視点が加えられているところが魅力的だ》という説を聞き、《なるほど自分の読みが短絡的であったか》と納得させられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用ここまで

一見、もっともらしい意見のように思えます。しかし私に言わせれば「納得するなよ」、という感じです。これでは、“旧来の横溝世界+新しい視点”の物語、という解釈を受け入れているとしか読みとれないからです。でも上記のように、『首挽村の殺人』はそういう作品にはなっていません。作者はそのつもりでこれを書いたのかもしれませんが、ハッキリ言ってそれは失敗しています。

無医村の状態が続いていた村に、東京から医師がやってくる→しかし、その着任以後、村では謎の変死が立て続けに起こる→それは、殺害後の遺体を異様な形で人目に触れさせるという、前代未聞の連続猟奇殺人事件だった……こういう話なら、この医師の視点で語っていくのが常道でしょう。でも、そうしていないのは、この医師の存在そのものに何か含みがあるからだ、というのがまるわかりです。

それなのに、この医師の生い立ちとか村との関わりとかについては、結末近くまでロクに描かれることもなく、強引、というよりも、本当に取って付けたような急展開が起こります。この作者は、いったい“伏線”というものをどう考えているんでしょうか。

薄っぺらな登場人物、オマケ的な村の伝説、怪物めいた熊、そして、殺されてしまう人々……例えば自然保護に熱心な住職とか、産廃問題で住民とトラブルになっている村議会議員。これらから連想されるのは、横溝正史でも新本格でも、社会派ですらなく、『金田一少年の事件簿』です。

いや、金田一少年的なのが悪いと言ってるわけではありません。これを“二十一世紀の横溝正史”だと言いはるのも、まあ宣伝としてはアリなんでしょう。横溝と同じものを書かれても、それはそれで問題ですし。でも、大前提としてこの話は“面白くない”のです。読みやすい文章でもなく、力の入れ方が間違っているようなこの作品を大賞受賞作とした結果には、首をかしげてしまいます。やっぱり、“綾辻行人絶賛”はダメだなあ。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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