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zoom RSS 『リベルタスの寓話』 を読んで。

<<   作成日時 : 2007/12/26 23:58   >>

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シリアスな衣装をまとったバカミス中篇2つを収録した島田荘司の本。こういう書かれ方をすると、どう評価したらいいのか、非常に微妙です。

本書、『リベルタスの寓話』(講談社)には、表題作ともうひとつ、『クロアチア人の手』という作品が収められています。発表の順序から言えば『クロアチア人の手』のほうが先なんですが、なぜか本書中での収録順は逆になっています。推測でしかありませんが、『クロアチア人の手』はかなり無茶なトリック(島田荘司の作品には珍しくないですが、単に無茶というだけでなく、実現の可能性が極めて低い……というより不可能)が使われているので、さすがの島田御大も巻頭に持っていくのがためらわれたのではないか、という気がします。

一年間の休刊から、再び刊行を開始した直後の「メフィスト」誌に、目玉作品として掲載されたのがこの『クロアチア人の手』だったわけですが、読者からの反響はどうだったんでしょうか。無茶な状況設定に無茶なトリック、そして無茶な解決。すぐあとに『リベルタスの寓話』が書かれているところをみると、島田御大のネームヴァリューでそれなりの人気を集めたのだろうとは思いますが、いくら「メフィスト」の掲載作品といっても、これではあんまりだ、と思った読者は少なからずいたのではないでしょうか。

それに比べると、『リベルタスの寓話』のほうはトリック作品ではなくホワイダニットで、発想はバカミス的ですが、本格ミステリとしての整合性はまあまあ取れていますから、それなりに面白く読むことができました。ただ、こちらは余計な描写が多いと感じる反面、解決に到るまでの道筋には書き込み不足のような印象もあり、このプロットを根幹にして、ちゃんとした長篇に仕上げたほうが良かったのではないか、と思わせるものがありました。

作品はどちらも、旧ユーゴスラビアがらみの話になっていますが、収録順序が発表順序と逆になっていることでもわかるように、ストーリーにはつながりはありません。『リベルタスの寓話』はボスニア・ヘルツェゴビナが舞台、『クロアチア人の手』は日本で起きた事件を取り扱っています。名探偵・御手洗潔はアームチェア・ディテクティヴならぬテレフォン・ディテクティヴであり、姿は全く見せません。そのせいなのかどうか、推理を披露する御手洗のセリフが妙にクドクドしていて、同じことを何度も言ってるのが気になります。そりゃあ、電話だと確かにああなってしまうことは多いかもしれませんが、そんなところにリアリズムを持ち込まれてもねえ。単なる行数稼ぎに見えてしまいます。

さて、『リベルタスの寓話』のプロローグのあとには、その“寓話”なるものが置かれています。現在のクロアチア共和国の原点となった、自治都市ドゥブロブニクに伝わっていた話、という体裁をとっており、ますばドゥブロブニクでの総督選びの方法が細かく描かれます。最終的に誰が総督になるのかを決定するための投票が行われたあと、開票作業をする“機械人間”がリベルタスと呼ばれていたというのが、主な内容です。もちろん、当時はロボット技術などありませんから、リベルタスの正体は中に子どもが入っているブリキ製の人形にすぎません。

リベルタスの存在価値は、選挙の公正さを維持するためにあります。しかし、16世紀以降、このシステムはもっと単純なものになり、リベルタスも引退して、その後は総督官邸の一階に飾られ、ドゥブロブニクの自由を守り続けたシンボルとして市民に親しまれる守り神になった、ということになっています。なんとなく、通天閣のビリケンさんを連想させるような存在ですが、リベルタスという機械人間の話はもちろん島田御大の創作。「メフィスト」への掲載以降、この寓話が実在するものなのか、それとも創作なのかをたびたび尋ねられた、という意味のことを、ご本人があとがきに書かれていますが、これを読んで創作だとわからない人が、そんなにいることのほうがむしろ驚きです。

寓話はさらに続き、プロローグで述べられた事件の概要が、このリベルタスの話とリンクしていることを、読者に示すような内容になっています。その事件というのは非常に陰惨かつ不可解なもの。捜査にあたった、NATO(北大西洋条約機構)の犯罪捜査課の手にあまる状況になったため、御手洗潔の出馬か要請され、まずは彼と親しいライターの私(おなじみのハインリッヒ・レーンドルフ・シュタインオルト)に話が持ち込まれた、という流れになっています。しかし読者には、事件が「リベルタスの寓話」の見立て殺人であることが、前もってわかっている構造なわけです。

その見立てというのはトンデモない内容です。事件現場となった廃ビルの一室には4人の男の死体があり、全員が性器を切り取られていました。また、うち3人は頭部が切り離されていて、その首は血みどろの池と化した室内に転がっていました。しかし、最も不可解だったのは、首を切られた死体の中に、あまりに奇妙な処理をされたものが一体あったことでした。問題の遺体は、喉のすぐ下から下腹部までをタテ一文字に肉を切り裂かれていて、そこから内臓がすべて取り出され、代わりにいろんなものが詰め込まれていたのです。

肺の代わりに飯盒のフタと竹細工の籠、肝臓の代わりにフラッシュライト、膵臓の代わりに携帯電話、腎臓の代わりにパソコン用のマウス、膀胱の代わりに電球、腸の代わりにホースといった具合で、取り出された内臓があった位置に、その形に似たものが入れられていたというわけです。遺体の身元はすでに判明しており、有力容疑者もいたのですが、彼にはアリバイがあって、犯人のものと思われる血痕とも血液型が違うため、捜査対象から外されかけていたのでした……。

奇想といえば奇想、これほどのものは確かにあまり例がありません。しかし、見立てのもととなっている寓話自体が創作なのですから、ストーリーの都合のためにすべての世界観を構築してしまうタイプの作品と、本質的には同じです。隠されていた犯人の意図、解決に到るロジック、血液型の謎などは綺麗にまとまっているのですが、いつもながらの「作りもの感」が、この作品では悪い方向に作用しているようです。純粋にミステリとして読んだとしても、説明不足な点がいくつかあり、なんだか締め切りに追われて無理矢理終わらせたんじゃないか、という印象があります。

『クロアチア人の手』は密室もの。俳句の国際コンクールで入賞した2人のクロアチア人が俳句振興会に招待され、松尾芭蕉記念館という建物の貴賓室に宿泊していました。貴賓室は2部屋あって隣り合っており、どちらも窓はなく、ドアは金属製で、まるで金庫のような造りになっています。ドアの内側には立体的な龍の彫刻が取り付けられていて、ノブは龍の隙間にあるという感じ。カギは内側からサムターンを回して掛けるタイプで、カギ穴はないため外からは開けられず、またサムターンのつまみは堅くて、かなり力を入れないと回りません。

両方の部屋に大型の水槽があり、テトラなどの熱帯魚が飼われていて、水槽と水槽の間を魚が行き来できるように、直径10センチほどのパイプでつながっています。つまり、部屋と部屋も、壁を貫通したこのパイプでつながっているわけです。また、記念館のロビーには別な水槽があり、そこでは5匹の大きなピラニアが飼われていました。ピラニアを詠み込んだ近代俳句に傑作があり、それで俳人会員のみんながピラニアを見たがるため、この危険な魚は飼われていた、というのです。

イヴァンとドラガンという、この2人のクロアチア人は旧知の親友であることを公言していました。事件の前夜も、2人が近くの居酒屋でかなり飲んでいたのを、記念館の職員などが目撃しています。特にドラガンは泥酔に近い状態でした。その翌朝、ドラガンの部屋でイヴァンが死んでいるのが発見されます。上半身を水槽に突っ込んだ体勢で、なぜかそこに入っていたピラニアに唇やまぶたをかじられていました。また、右腕が肘のあたりからなくなっていて、これもピラニアに食べられたのではないかと思われました。

イヴァンの死因は溺死。問題なのは、ドアがロックされていたために、ガス切断機で焼き切らなければ開かない密室状態だったこと、そして部屋の主であるドラガンの行方でした。しかし、ドラガンのほうも、記念館近くの路上で死んでいました。原因は、凍結した道をスリップしてきた車にぶつかったことによる交通事故なのですが、こちらも奇妙なことに、跳ねられたとたん、持っていたトランクが爆発し、そのせいで爆死していたというのです。しかも、現場からは火薬や爆弾などの危険物は見つからないというのでした……。

いつもの路線とはいえ、密室の設定やピラニアの話など、トリックのための環境を強引に作ってしまったところが、この作品ではちょっと目に余ります。それなのに、中心となるトリックには無理があり、ドラマ「怪奇大作戦」のレヴェル。これではバカミスとしてもいただけません。おまけに、トリックの一部は島田御大自身がすでに他の作品で使っているものと発想がダブっていて、オリジナリティにも欠ける感じ。謎の作り方は魅力的で作者らしさも感じられますが、全体としては失敗作だと言わざるを得ません。御手洗の推理も駆け足で、トリックを構成するある重要なアイテムが、なぜその場所にあるとわかったのかという点など、説明不足も目立ちます。

どちらの中篇にも、クロアチアという国の成り立ちや戦争に関わる話が取り上げられているのですが、本来ならテーマ性を持っているべきであるそれらが、結局はトリックとロジックのための装置に過ぎないという印象が強すぎて、なんだかとても、お寒い気がしました。それでも、『リベルタスの寓話』のほうは現代的なネタが巧みに織り込まれており、なかなか読み応えがあるんですが、『クロアチア人の手』はそれより出来映えが数段落ちるため、本としてみるとバランスが悪く、残念な読後感を残してしまいます。文庫化される際には、大幅な加筆訂正が予想されるような一冊でした。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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