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zoom RSS 『中庭の出来事』 を読んで。

<<   作成日時 : 2008/01/09 23:55   >>

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昔、「月刊スヌーピー」という雑誌があって、小〜中学生の数年間、私はそれを定期購読していました。「英語の勉強になるから」なんて言って。

その発行母体だった鶴書房という会社は、1979年に倒産。月刊誌はその数年前から別会社が引き継いでいましたが、鶴書房の倒産と同じころに、スヌーピーが大泣きしている表紙の号を最後に、廃刊になってしまいました。鶴書房はアメリカのコミック・ストリップ(日本でいうところの、新聞4コマ)の対訳本をいろいろ出していた出版社で、その主力がスヌーピーの漫画、つまりピーナツ・コミックだったんです。

鶴書房が出していたコミックスは、アメリカ式のザラッとした紙質のペイパーバックで、スヌーピーの翻訳は詩人の谷川俊太郎さんが手がけていたんですが、この『中庭の出来事』(新潮社)を読んでいたら、作中人物の口から突然、その話が語られ始めたので、しばし懐かしい感慨に浸ってしまいました。作者・恩田陸は私より少し年下ですが、ほぼ同じ世代でもあり、彼女の小説にはよく、こういう懐かしさを喚起するシーンが登場します。“ノスタルジアの魔術師”と呼ばれるゆえんですね。読み手の世代にもよると思いますけれど。

恩田陸自身、特定のジャンルにとらわれない書き方をする人ですし、そもそもジャンル分けができないような作品も多いですが、『中庭の出来事』はいちおう、本格ミステリの範疇に入ると思います。ただこれ、非常に特殊な叙述スタイルになっていて、ネタバレなしに要約することは、ほとんど不可能に近いでしょう。よって、ここではごく大ざっぱなご紹介にとどめておきますが、この作品はいろんな意味で作者の実力を見せつけた秀作だと思います。

前作『チョコレートコスモス』(毎日新聞社)の終わり方が続きを予想させるものでしたし、登場人物が一部かぶっていると聞いていたので、てっきり私はこれを続編だと思って読み始めたのですが、実際にはほぼ関係ない作品でした。少なくとも、ストーリー上のつながりは全くありません。作者としては、前作の読者に向けた仕掛けを潜ませることによって、サーヴィスしているようなつもりなのかもしれない、と思ったり。ともかく、こちらを単独で読んでも問題はないでしょう。というか、単独作品として読まないと、頭が混乱してしまうかもしれません。

とにかく構造が複雑なんです。この作品はケータイ小説として発表され、毎日少しずつ配信されたものらしいんですが、そういう読み方をして、ちゃんと理解できるようなものなんだろうか、という疑問すら感じます。これを配信していた「新潮ケータイ文庫」では松本清張なども扱っていて、ケータイ小説なんて存在しなかった時代の作品をこんな形で読めるようになったんだなあ、という感慨もありますが、その反面、チマチマと数行ずつスクロールさせながら読むミステリに、どれだけ需要があるのか、とも思います。

出版社のほうでは、「ケータイ小説」=「ケータイで読めるような、単純な筋立ての小説」なのだ、と思わせることによって、それが単行本化されたときに、ふだん小説なんか面倒で読まない、というような人にも「ちょっと読んでみようかな」という気を起こさせる、といった戦略があるのかもしれません。でも、ミステリという小説形式について言えば、携帯の小さな画面を逆手にとって、真の意味で「先の読めないストーリー」にすることもできそうですから、可能性を秘めているスタイルではあるんでしょう。

私はケータイでの配信時に『中庭の出来事』を読んだわけではないので、実際どうだったかはわかりませんし、単行本化にあたっては、叙述形式を含めて、いろいろと書き直されているのかもしれません。が、おそらくはこれを書き始めたとき、恩田陸としてはケータイが発表の場であることを当然意識していたはずで、何度もデジャヴのように似たシーンが繰り返されるような描写になっているのも、その表れなのかなあ、とも感じます。

また、登場人物の誰かに感情移入して読めるような話でないのも、新しいスタイルのケータイ小説を模索したからなのかもしれません。しかし、ここまで複雑な叙述形式にしてしまうと、もはや単行本で読むしかないとも思うんです。いわゆる叙述トリックが仕込まれているわけではないので(よく読まないと誤解する可能性はありますが)、その意味では大丈夫、とも言えるんですが……。とにかく、ケータイ小説だからといって舐めてかかると大失敗しますから、ご注意を。

全体は細かい章に分割されています。「中庭にて」という表題のが全部で11章、「旅人たち」という表題の章が7つあり、その間に『中庭の出来事』という脚本形式の章が10箇所に分割されてはさみ込まれています。そして、最後はこれらが混ざり合った、「中庭にて、旅人たちと共に」という章で締めくくられます。「中庭にて」の部分では現実に起きた2つの事件が断片的に語られ、「旅人たち」の部分では、それとは全く関係ないような男性2人が会話しながら道中しているシーンが描かれ、最終的にはその2つの流れが、『中庭の出来事』というお芝居の筋でつながっていきます。どうです、「何のこっちゃ」って感じでしょう?

劇中劇である『中庭の出来事』の中でも事件が起き、3人の女優たちがその容疑者になるという筋。しかも、この劇中劇の登場人物の1人が脚本家で、『告白』というタイトルの劇中劇中劇(!)の脚本を書いています。で、この『告白』という芝居の脚本がまた変わっているんです。ちょっとその『告白』のあらすじを紹介した部分を、劇中劇『中庭の出来事』の登場人物の1人である「女優2」のセリフから引用してみます。

引用開始・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 あらすじがいいの。一人の女優が、最愛の男を殺した女を殺人の罪からかばうために偽証するという話なの。ね、面白そうじゃない?
 え? そうなのよ。「一人の女が」じゃなくて「一人の女優が」なの。女優が女優を演じるのよ。しかも神谷(※筆者注 『告白』の脚本家)の希望は、「本人を演じて欲しい」というのよ。こんがらがった?
 要するに、脚本に書かれた女優Aを演じるのではなくて、あたしという女優自身がそのまま登場人物になるというわけ。分かった?
 でも、それって、すっごく難しい話よ。虚実入り混じりというのはよくあるけど、ほんとの地でやってくれって言われてもねえ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終了

これでもよくわからないかもしれません。つまり、この『告白』という芝居の脚本は、そのままでは完成型ではなくて、出演する女優が、自分で自分の人生を織り込んだ脚色を加えることによって、初めてできあがる、ということなのです。これだけでも複雑なのに、この『告白』を含む劇中劇である『中庭の出来事』を書いた脚本家が「中庭にて」の章に登場し、脚本の出来映えについて他の人物と語り合うシーンがあり、そのせいなのか、脚本家が語っている構想と舞台劇『中庭の出来事』の内容はちょっとズレていたりするんです。

これを本格ミステリだと思うのは、衆人環視の中での毒死事件とか、同じ女性がほぼ同時に3方向から見られていたのに「笑っていた」「泣いていた」「怒っていた」と目撃者の証言が食い違っていて、しかもその女性が突然死してしまった謎とか、地位も名誉もある脚本家が女優を強請っていたといわれたのはどうしてかとか、芝居小屋に現れて消えた幽霊といった、ミステリとしての謎がしっかり織り込まれていて、しかも『毒入りチョコレート事件』を彷彿とさせるような、多重解決ミステリとしても読めるからです。

しかし、この本でもっとも重要なモチーフになっているのは、やはり虚構と現実の交錯であって、そこをミステリとして踏み込んで考えれば「後期クイーン問題」というヤツにもぶち当たります。ですが、作者の意図はもちろんそういう方面にあるわけではないでしょう。登場人物に感情移入はできませんが、では読者である自分はどこにいるのかというと、恩田陸作『中庭の出来事』という芝居の観客席に座って、作者と芝居の出来を話し合ってるような印象です。リドルストーリーというほど宙ぶらりんではないけれど、劇が終わったら、自分なりの解釈を補って物語を完成させてほしい、とでもいうような感じ。ある意味インタラクティヴというか、究極の読者参加型ミステリなのかもしれませんね、これは。

※この記事はブログ村 ミステリー・推理小説にエントリーしています。

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